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同時多発テロの対処には報復戦しかないのか
2001年09月17日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄

 1990年代のアメリカに未曾有に好景気をもたらしたのは冷戦構造の崩壊とIT産業の世界的浸透だった。その反動としてアメリカがグローバル・スタンダードそのものになる危機感が澎湃として世界各地にわき起こった。

 アメリカ一極集中経済が頂点に達し、まさに崩れんとする2001年9月11日、ニューヨークを中心に同時多発テロが勃発した。日本経済にとっては最悪期である。アメリカはただちにイスラム原理主義者、オサマ・ビン・ラディン氏を最重要責任者として特定し、世界的報復戦への根回しを開始した。

 この同時テロはアメリカにとって初めての「本土攻撃」だった。テロと呼ぶにはあまりにも規模が大きすぎ、アメリカ政府は当初から「戦争」を口にした。「戦争」は国家同士の戦いで、一応、国際戦時法が約束事を決めている。かつての中東のパレスチナとの戦いもリビアのカダフィーとの戦いも目に見える国家や民族集団のぶつかり合いで、その「国土」が戦場となったが、今回はどのような「戦い」のなるのか誰もまったく分からない。

 戦争というものは明確に相手となる軍事集団なくしては成立しえない。湾岸戦争の場合には明確にイラクという「悪」が存在したが、今回はアメリカでさえ、完全に特定できていないテロ集団がその「悪」となった。国際テロ集団が近代戦争を戦い抜く常備軍を持っているとは考えにくい。まして戦いを仕掛ける「国土」を持たない。そのテロ集団に世界最強のアメリカを中心とした「世界軍」が束になって攻撃する様はどうにも想像しにくいのである。

 戦争のストーリーには勝敗が不可欠である。テロ集団の背後にある国家群が相手でなくては目に見える決着はつかない。クラウゼビッツなど多くの戦争論には(1)戦争を始めるには目的が必要で(2)その目的を達成したらただちに停戦することが肝要−であることが必ず書かれているそうだ。つまり交戦相手国なくして戦争は成り立たないことを示している。テロ集団相手にどうのような「戦争終結」が考えられるのか。これに対していまだに誰も言及していない。

 想像できるのはテロ集団に対して精神的・物理的支援を続けてきた国家が今回の戦いの相手とならざるを得ないということである。いったん戦いが始まれば、今回はテロ集団の完全なる殲滅以外には終結はないである。そしてアメリカの攻撃が行き過ぎれば、最終的にはイスラムを信奉する国家群を敵に回さなければならなくなるということである。

 これらの国家の多くは西洋諸国がここ数世紀にわたり信奉してきた「自由」だとか「民主主義」といった概念を信じているとは思えない。アメリカではすでにアラブ系住民に対する官民のいやがらせが始まっていると聞く。アメリカが自由と民主主義を振りかざすほど、イスラム諸国の心はアメリカから離反していくのだろうと思うと今回の報復戦には世界の対立構造をさらに激烈にする萌芽を内包していると言わざるを得ない。

 同時テロの衝撃はやがてアメリカに「憎悪」を生みだした。世界の人々が今回の惨劇に対して哀悼の意をしてしていることから、ここまでは誰もが理解できる心情である。しかし世界が哀悼の意を示すことと報復戦に世界を巻き込むこととは別問題である。アメリカはいま「自由」と「民主主義」、そして「文明」という言葉まで持ち出して報復戦参加の踏み絵を世界の指導者に踏ませようとしている。

 オサマ・ビンラディン氏を中心としたテロ組織は確かに危険な存在だが、本当に全世界が束になってかからなければ倒せないほどの勢力なのであろうか。そして戦争ではなくなんとか「犯罪者」としてこのテロ集団を捕捉する手段はないのだろうか。第三次世界大戦の勃発を防げるのはそれこそ主要先進国の責任ではないか。

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