Yorozubampo

  金利が消滅するほどの日本経済

   2001年03月22日(木)
  萬晩報主宰 伴 武澄

 日銀が20日、金融市場に供給する資金を増やす「量的緩和」に踏み切ると発表した。量的緩和の手法として(1)日銀当座預金残高を1兆円上積みして5兆円とする(2)その誘導手段として長期国債買い入れを増額する。日銀はこの結果、短期金利がゼロ%近辺まで下がると説明した。

 舞台裏を明かすと、どこの経済部も早くから「量的緩和」が必至とみて21日朝刊のトップ記事づくりの準備に入っていた。だがどの新聞をみても日銀の発表内容をかみ砕いて説明しているようでいて素人にはなにがなんだか分からない記事が紙面を覆い尽くしていた。

 ●必要以上のお金を印刷してインフレを起こす

 まず「量的緩和」という表現である。誰が言い出したか分からない。「資金量増やして金融を緩和(金利を下げる)する」ことなのだが、分かりやすくいえば「資金量を増やす」とは「お金を印刷する」ことで、貸すお金が増えれば「金利が下がる」といえば分かりやすい。

 だがはたして簡単にそうなるのだろうか。「国の経済力以上にお金を印刷する」ことは「通貨の価値を下げる」ことのほかならない。通貨の価値下落が直ちに物価上昇を招くことは歴史が証明している。だから今回の措置を解釈を交えてかみ砕けば「国の経済が必要としている以上のお金を印刷してインフレを起こすこと」をいうことになりそうだ。ただ単に日銀券を印刷はできないから、日銀券印刷の代償として市中にある国債を買い入れることになる。

 量的緩和は経済学では禁じ手のひとつとなっているはずの手法である。日銀が禁じ手を使うということはよほど日本経済が手詰まり状態にあることを示している。インフレ抑制を一番の仕事としている中央銀行がインフレを煽る策を導入したのだから相当の劇薬であるとの認識があるはずだ。禁じ手を使っても効果薄との評価もあるが、日銀としても手をこまねいているわけにはいかず、速水総裁としてはそれこそ清水の舞台から降りるような思いで今回の措置を打ち出したのだろうことは想像に難くない。

 だが本当に禁じ手といえるほどの選択だったのだろうかと考えると筆者にはそれほど大それたことには映らない。90年代後半以降の日本の問題は金利を下げて経済を刺激しても消費者がものを買わなくなったという点にある。だから企業が物づくりに励まなくなり、日銀が金融市場にお金をじゃぶじゃぶに供給しても企業が銀行から借金をしてくれない。

 そして行き先を失ったお金は政府が経済対策のために増発する国債購入に回る。今回の「日銀がお札を印刷して国債を買う」という措置は何も今回から始まったわけではない。この5年間一環として続いていた。量的緩和で違うのは「量的数値目標」を示したことだけだ。

 ●超低金利が引き起こすデフレ経済

 いずれにせよ、日本政府がインフレに期待していることだけは確かだ。巨額な借金を減らす手だてがない以上、通貨価値を落として将来の返済負担を減らすしかない。萬晩報で一昨年以来、主張してきたことはハイパーインフレへの懸念である。物事には作用・反作用があることは学校の物理で学んだ。無理やり金利を引き下げれば、反作用で将来の金利上昇が必ず起きる。無理強いする力が強いほど、またその時間が長いほど反発力は強いはずだ。

 インフレは政府が期待しなくとも必ず来る。そしてやってくるときには並のインフレではない。もしやってこないとすれば日本経済が死んでいることになる。また物価だけが高くなって金利がそのままということもあり得ない。インフレで過去の借金は確かに目減りはするが、金利高騰で今後、政府はこれまでのように借金ができない状況も生じる。世の中はそんなに甘くない。

 日本に低金利政策はもともと景気浮揚を狙ったものだったが、いつの間にか銀行の不良債権処理支援策として定着。公定歩合0.25%などという常軌を逸した水準にまで引き下げられた。日本経済が直面しているデフレの根元に低金利政策の問題があることは皮肉な事実なのだ。

 鶏が先か卵が先かという議論になるが、まず名目値とはいえ「金利が貯まる」という実感がない世界では購買欲は生まれない。なにしろ日本は世界に冠たる貯蓄王国なのである。かつてわれわれは「貯金して10年で倍になった」などといって将来の消費を楽しみに蓄えをした民族なのである。物価が上がらない状況では、消費者といえども金利が低いからといって借金をしてまで物を買おうという意欲も起きない。世の中の金利を金利以下に貶めていれば成長の逆スパイラルが起きても不思議でない。

 エコノミストたちによる「物価上昇率の低い日本の実質金利は高い」といった議論をよく目にするが本当にそうだのだろうかと思うことがある。資本主義経済は一定のインフレを前提として成り立っているため、近代経済学の本当のところは長期的な物価下落などは想定していない。想定していない事態を理論値にはめ込んで「実質金利」を議論したところで机上の空論にしかすぎないはずだ。

 市民の日々の生活感覚からすれば、3%を切った時点で日本にはもはや金利は消滅したに等しい。金融は銀行のATMで100円単位の手数料を取られ、ドル円の為替で2円(2%)以上の手数料を取られる世界である。昨今の日本の金利は顕微鏡でしか判別できないほどのプラスマイナスに一喜一憂しているとしかみえない。

 ゼロ金利が復活したかどうかなどという議論はもはやコップの中の論争でしかない。新聞に掲載する金利表を作成するグラフィクス部担当者が「グラフの線の幅より小さい変化」をどう書くか苦労しているのである。これは笑い話ではない。


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