HAB Research & Brothers

  

21世紀の計をたてるのは国ではなく地方

2001年01月01日(月) 
萬晩報主宰 伴 武澄
多様な価値観が育む希望  伴 武澄(萬晩報主宰)

 地方の時代といわれて久しい。かつて地方は東京に対する単なるアンチテーゼだった。だが、どうやら風向きが変ったようだ。中央政体は自民党独裁が続くが、地方では新しい考えの知事たちが続々と登場し、地方からの提案が始まった。まるでオセロゲームをみているようだ。

 今年もまた新しい首長が次々と生まれるのだろうという確信がある。きっとひとびとの間にも同じような思いがあるのだろうと思う。新しい首長がすべてひとびとの思いを政治に具現化してくれるとは思わない。恵まれた首長をいただくひとびとと新たな首長に失望を抱くひとびとが出てくるはずだ。

 数年前、Think Japan の大塚寿昭さんと出会ったとき「伴さん。日本の政治は地方からやり直さないといけない。中央ではないですよ」と語っていた。21世紀の初頭にあたってその含蓄をかみしめている。メディアケーションの平岩優さんも年頭に江戸時代の「藩」を思い浮かべたという。江戸時代のように多様な価値観がこの列島に育まれたら日本に希望が生まれる。

 萬晩報は4年目に入ります。ことしもよろしくお願いします。
 
萬晩報新年挨拶  中国寧波市 岩間孝夫

 過ぎ去りし20世紀に思いを起こし、そして新たなる世紀に思いをはせる時、つくづく、世の中は変わるものだと思うと同時に先のことはわからないと思う。

 その中で敢えて21世紀のキーワードを求めるならば「調和」だと思う。

 国と国、民族と民族、異なる宗教間、異なる世代間、人類と自然、機械文明と精神文明等々。調和なくして人類はこの地球という住まいの運営を図ることは出来ないだろう。

 萬晩報がスタートして3年が過ぎたが、その間萬晩報の主張はどのテーマに関しても一貫して「よりよい社会を目指す」姿勢に貫かれていた。その姿勢と視点が多くの人々の共感を呼び、今や二万人を越す愛読者を持つに至った。

 萬晩報が引き続き社会の木鐸として警鐘を鳴らし続けることを、そしてまた、日本及び世界の国々が調和のとれたより良い社会に向かって前進することを心から願ってやまない。
 
21世紀の計をたてるのは国ではなく地域です  平岩 優(メディアケーション)

 10年ほど前、ジャーナリストのD・ハルバースタムの著書『ネクストセンチュリー』の冒頭に、アメリカを支えるのは国政を担当する政治家ではなく現場で汗を流している州知事たちであると書いてあるのを読んで、なるほどと思ったことがあります。日本でもようやく、そんな兆しが現れてきたようです。官僚の弊害、教育の荒廃がいわれますが、規制緩和や制度の改革に取り組みながらも、100年の計をたてることが必要な時期にきていると感じます。そして、その計をたてるのは国民国家ではなくて、地方でなくてはなりません。かって明治維新に人材を送り込んだのは藩校です。薩長という大藩だけでなく、教育に熱心であった佐賀藩は明治政府に多くのテクノクラートを供給したといいますし、津和野という小さな藩からも森鴎外や西周などが育ちました。

 しかし、現在の教育・文化装置は東京・大阪を中心とした大都市圏に偏在しています。出版社にいたっては東京に一極集中です。今、地方に必要なものは、ハコ物の施設ではなく情報発信のできる教育・文化装置です。たとえば、その土地の文化や産物――園芸植物、米、魚介の養殖、半導体、陶磁器、染料、野鳥などを核にした研究所やカレッジを創立し、世界的な研究者・人材を招聘する。さらにアジアの若い学生や研究者が参加できるような安い宿泊施設や居住施設を建設する。そうした文化、環境から人は育まれるのです。夢のような話に思えるかもしれませんが、地域を活性化し、支えるのはおカネではなく人であることは間違いありません。
 
人々の中へ  色平哲郎(いろひら=長野県・南相木村診療所長)

人々の中へ行き
人々と共に住み
人々を愛し
人々から学びなさい
人々が知っていることから始め
人々が持っているものの上に築きなさい

 しかし、本当にすぐれた指導者が仕事をしたときにはその仕事が完成したとき人々はこう言うでしょう。「我々がこれをやったのだ」と晏陽初 Yen Yang Chu (1893 - 1990)

 長野県東南部、人口1300人の南相木(みなみあいき)村。私は、鉄道も国道もないこの村に、初代診療所長として家族五人で暮らしている。自家用車が普及するまで、人は最寄りの鉄道駅小海(こうみ)まで三里の山道を歩いたという。養蚕や炭焼きなどの山仕事しか、現金収入のなかった時代だ。

 今は村営バスが走り、農作業も機械化されたが、患者さんのほとんどは、そんな村の歴史を知るお年寄りたちだ。診療の合間に、その口から語られるのは、遠い記憶である。今はない分校に子どもたちの歓声が絶えなかったこと。足ることを知り、隣近所が支えあったくらしぶり。山に生かされた日々であった。

 しかし、1836年(天保7年)の飢饉(ききん)では村の餓死者120余人。1897年(明治30年)7月の赤痢、寺への収容者250名中、死者40余名。今も村に残る篤い人情に感激する一方で、ひもじさと感染症流行の生々しい記憶があった。 分け隔てのなさ、生活の楽しみ、笑い、目の輝きの一方に、みてくれ、ぬけがけ、あきらめといったムラ社会の狭さもある。

 現在の私は冒頭の詩を座右の銘に、プライマリー・ヘルスケアにつき村人に学ぶ日々を送っている。
 
増える地球益のための活動  中野 有(北東アジアビジネス協力センター事務局長)

 日本の進むべき道が見えないままに新世紀を迎えた。国がしっかりしないので、不満を述べ閉塞感が漂っている世相なら、個人がしっかりするしかないように思える。21世紀の初頭は、個人が世界観を持って豊かで元気で夢のある社会を築いていくという可能性が芽生え始めるのではないだろうか。

 個人が国家論や世界観を論じても違和感がなく、インターネットで瞬時に世界に想いが伝わる。そうなれば国を動かす活動とか革命とかそんなたいそうなことでなく、個人が想いを発信することで世の中の空気が変わり新たな柔軟性のある組織や社会が発生し、国の進むべき道が見えてくる。加えて、環境、人口、エネルギー問題など一国では対処できない問題に直面し地球益のための活動が増えてくるのではないだろうか。

 そう楽観的に考えれば、21世紀の日本はおもしろくなるのではないだろうか。
 
0世紀という時代から21世紀へ  八木 博
いよいよ20世紀も終わろうとしているが、今世紀を振り返ってみると人間が物 質を理解し、それを徹底的に利用するということに関しては究極の姿にまで完 成させた時代と言えるであろう。ライト兄弟の発明した飛行機が文字通り世界 を一体化したし、科学技術は人間を月に送ることもにも成功した。これらは、 人間が「科学」という手法を用いて達成した素晴らしい成果である。そして、 今はインターネットという、知識を集積しつつ、新しいパラダイムへ転換させ るツールが着々と完成しつつある。従来の価値観と異なり、共有にこそ価値が あり、人間同士のお互いのこの尊厳を認めつつ、新しい人間関係が築ける道具 でもある。ヒトゲノムの全体解析も驚くほど早く大筋が完了された。この背後 にもインターネットによる情報の共有が大きな役割を果たしている。20世紀の 成果が21世紀に実りを生む仕組みになってきた。

21世紀にはインターネットに関わる一人一人が、個としての役割や、新しい社 会を考えることになるだろう。主体的な関与こそ、21世紀の社会でのキーワー ドとなる。萬晩報の役割や大である。
 
希望のある国へ 齊藤 清(コナクリ通信員)

 西アフリカのギニアは、乾季がかなり深まっていて、野原の草々はすっかり 枯れてしまいました。北からの季節風に運ばれてきたサハラ沙漠の細かい砂が 空を覆い、太陽はおぼろげに、終日淡い光を投げかけています。さらさらと、 耳に聞こえるかのように降りしきる砂の音が、サバンナの静寂をきわだたせて います。夜ともなれば、野火が空を焦がして通りすぎていきます。

  いつもと変わらないそんな平穏な自然を舞台に、ギニアの国境周辺ではしば しば銃声がとどろくこととなり、多くの人々が逃げ惑う状況の中で2001年を迎 えることになりました。今は、政権にある者の命をかけた言動が求められてい ます。そして、希望のもてる新しい世紀となることを願うばかりの新年です。
 
2001年に22世紀のことを考えてみる  園田義明

 1990年にアカデミー賞7部門を受賞した映画「ダンス・ウィズ・ウルブ ズ」に登場したネイティブ・アメリカンはラコタ族、通称スー族と呼ばれてい る。現在リザベーション人口ではナバホに次ぐ2番目に大きな部族であり、映 画でも描かれていたようにバッファロー狩りに代表される狩猟採集の民であっ た。

「ミタクエオヤシン」はラコタの『輪』の思想を表す言葉で、ミは「私の」、 タクエは「親戚、繋がるもの」、オヤシンは、「全ての」を意味する。この3 つの単語が繋がって「私に繋がる全てのもの」となる。

 ラコタの繋がりは、命あるものすべてに及ぶ。動物も植物も山や川もすべて が時を超えてその『輪』の中に含まれる。そしてそのすべてに生かされている 感謝の気持ちと、それらにために生きることの誓いとして「ミタクエオヤシン」 は今でも語り継がれている。

 2001年に22世紀のことを想像してみよう。間違いなく私自身の肉体は 存在しない。おそらく私の子供もいないだろう。孫かその子供達は生きている だろうか。彼らに何を残してあげられるのだろう。

「spirit」をいただきながら、ほんの少しそんなことも考えてみたいと思う。
 
日本でしか始らない21世紀  美濃口 坦

 年の瀬のある日。 「狂牛病また発見」という文字が踊るドイツのmsnホームページから二回クリックして日本のmsnのホームページにたどりつく。

 左上に 「21世紀の幕開けまで…あと XX 日と XX 時間 XX 分 XX 秒」とあり、秒の前の数字がどんどん小さくなる。感心して見ていると、 「もういくつねるとお正月。、、、、」という童謡の懐かしい一節が蘇った。

 しばらくして「狂牛病」の頁に戻ると、「21世紀の幕開け」とか「今世紀最後の、、」といった文句が見あたらないことに気がついた。他の欧州諸国のmsnをクリックすると21世紀は日本でしか始らない気がしてくる。日本人がこれほど「西洋の暦」につきあっているのに本家本元は愛想が悪い。私はこれからも気がついたことを書くつもりにしている。 
 
「節」こそ日本の誇る文化  Ban Mikiko

 多民族国家マレーシアで暮らしていて強く感じることは,民族によって時間のリズム、生命のバイオリズムが異なるということです。時代や年月といった「節」のつけ方が文化により異なるとも言えます。

 12月から1月にかけて各民族(宗教)の祭日が集中するマレーシアで「日本人にとって一番大切な日はいつですか」と友人に聞かれました。「元日です」と答えたことは言うまでもありません。そして「節」としての正月を説明する中で「けじめ」という言葉がうまく訳せず困りました。しかし、年末年始の様々な習慣を説明しているうちに、この「けじめ」のつけ方こそ、日本が誇る文化ではないかと思いました。友人は「日本人は楽観的な民族だと思ってきたが、そうやって1年ごとにいろいろなことを清算、総括しているから前向きになれるのね」と納得した様子でした。

 かって日本には元日、紀元節、天長節、明治節という四大節があったそうです。すべて祝日として残っていますが、「節」としての意味合いを留めているのは元日だけです。それでも、一つだけでも残ったことは幸いだと言えましょう。けじめ上手な日本人。今年は「世紀」の単位ではなく、「千年紀」の単位で日本を見つめ直し、民族としての「気締め」をしたいものです。
 
人種、歴史、イデオロギーを超越  中国情報局 文 彬

 「国境を超え、ジャンルを超える」をモットーとする、格調高き「萬晩報」に仲間入りさせて戴き、何時も光栄に思っております。旧年中は、「萬晩報」の主筆を通じて多くのジャーナリストの方々と交流する機会を得られ、また、読者の皆様からも多くの励ましとお叱りのメールを戴き、大変勉強になりました。

 過去数世紀の分量に相当する激変が「ミレニアム末」である20世紀の後半でいっぺんに起こり、その勢いは今も続いているように思われます。そういう意味でも、2001年は日中両国にとって、また世界にとって期待と不安が混在する年になりそうです。ただ、人類が段々と人種、歴史、イデオロギーなどを超越し、他人、他民族の多様性に対してより寛容的になり、他人、他民族への理解が日増しに深まることだけは疑いません。その中で少しでも日々発生している真実を正しく伝え、日中の相互理解に役立つことが出来れば本望です。


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