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首都移転議論をよそに進む首相官邸建設

2000年03月24日(金)
萬晩報主宰 伴 武澄



 山王パークタワーという溜池に2月オープンしたビルを訪問した。NTTドコモ本社が移転し、三菱信託銀行の本店もある。建設中の新首相官邸に隣接しているため、警備上いろいろな工夫がされているという注目のビルである。

 ビルの外壁のコンクリの柱が外側に幅をもたせてあったり、斜めから見たときに曇りガラスになる特殊な窓の構造になっていて、官邸を直接見下ろせないよう工夫がされているということだったが、どうも真っ赤なウソであることが分かった。

 特殊な曇りガラスは確かにあったが、160センチほどの高さまで、それから上は普通のガラスになっている。ちょっと背の高い人や普通の背丈の人でも台の上に上がれば曇りガラスの効果はない。それこそ官邸は丸見えなのである。ゴルゴ13ばりの射撃手ならば、窓越しに官邸にいる要人を狙うことは不可能でない。

 ●財政危機でも止まらない建設

 日本の危機管理のお粗末さがここでも垣間見られたのだが、筆者はまるっきり違うことを考えていた。

「官邸が隣のビルから丸見えであろうとそんなことはどうでもいい。日本は首都移転を議論している最中に、首相官邸を新築しているのだ」

 山王パークタワーから見下ろす新首相官邸の建設現場をみながら、そんなことを思い起こしていた。

 調べてみると新官邸建設費は本館だけで435億円である。遅くとも再来年のいまごろに本館は完成する見通しである。

 いま日本は金融機関の不良債権問題と景気の長期低迷、それに財政の危機に立たされている。その一方で首相官邸を新築するのだそうだ。1998年度の第3次補正予算で278億円もの建設費用が計上され、去年6月から新首相官邸の建設が着工しているのだ。確か第3次補正は景気対策である。

 4年前に、首相官邸の新築計画が浮上したときに「なんでこの時期に」と記事を書いたことがある。阪神大震災の直後で首相官邸の機能強化がさけばれていた時期でもあった。実は災害時を想定した官邸機能は多摩地区ですでに機能しているのだ。

 官邸の新築の閣議了解はいまを遡る13年前だが、実質的に始動したのは村山政権のときである。橋本内閣のときにゴーサインが出て、小渕内閣が実際の予算をつけて建設が始まったのだ。この間、だれも首都機能移転との矛盾を指摘してこなかった。

 ●新官邸は10年の使用が前提?

 そのとき、取材に応じた官僚の言葉が忘れられない。言葉尻は正確には覚えていないが、後輩記者は以下のように報告したのだった。

「新しい官邸は新首都移転までの暫定的なもので、10年程度の使用を前提に設計を進めている」

「ほぅ、この国はプレハブ官邸を建てようとしているのか」。建て替えの最大に理由は官邸の老朽化だったはずである。黒を白と言いくるめるのがうまい官僚の言いそうな文言だった。

 去年12月、2000年度予算を編成していたとき、国会等移転審議会が首都機能の移転先を決められずに3地域を並列して答申したことは記憶に新しい。移転先を諮問された審議会が移転先を決められないのならば、審議会の意味をなさない。委員たちはただちに辞職すべきだったがそんな議論も起きなかった。

 自分の目が黒いうちに首都移転が実現するなどと考えている人は霞ヶ関周辺にはいない。マスコミもどだい無理な話だと思っている。思わせぶりな記事は、真面目に誘致に取り組んだ自治体の職員を踊らせただけでに終わるのだろう。罪な話だ。

 ちなみに一般に「首都機能移転」と考えられている首都移転論議の、政府の正式な名称は「国会等移転」である。実は誰も「首都移転」といったことはない。あくまで「首都機能」であり、移転を議論しているのは「国会等」となのだ。

 国会等移転審議会は1年以上も前、新しい国会議事堂や低層の建物群を田園風景に配置した「新首都」の最終的なイメージ図を盛り込んだパンフレットを作成し、ホームページに公開した。だが、審議会での議論をつぶさに読んでみると、このような新首都が出来上がるのは30年も先の話なのだそうだ。

 そういえばマレーシアの新行政都市プトラジャヤの建設は通貨危機の間も休まず続けられ、新首相官邸は去年6月すでに引っ越しを終えているそうだ。


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