HAB Research & Brothers


寛容は盛んな時代を呼び寄せる

2000年01月24日(月)
中国情報局 文 彬



 チベット仏教4大宗派の1つ、カギュー派の活仏、カルマパ17世がチベット自治区を離れ、インドに密入国してから10日間以上も経過したが、メディアを飛び交う様々な憶測の中で今も解決の糸口が見つからない。インドの地を踏んでから、カルナパ17世が最初に身を寄せたのはインド北部ダラムサラに亡命政府を置く同仏教最高位、ダライ・ラマ14世の元である。ダライ・ラマ14世もまた、1959年のチベット動乱の時、ヒマラヤを越えてインドに亡命したのである。

 カルマパも亡命だと決め付ける報道もあるが、中国政府、インド政府、そしてダライ・ラマの亡命政府の思惑と働きかけによって、違う方向へ展開する可能性も十分考えられる。第一、まだ14歳の少年のカルマパにとって、今度の行動は全く自分の意志によるものとは思いにくい。しかし、チベット仏教の最高指導者とカギュー派の最高位にいる活仏が同時に本土にいないのは歴史的にも前例のないことで、極めて憂慮すべき状況である。

 何故このような事態になってしまったのか、様々な角度から分析する著書は山ほどあるので、繰り返しぜいげん贅言するまでもない。ただ、ここで筆者は寛容精神の再来を心より期待したい。寛容は盛んな時代を呼び寄せ、国にも、庶民にも福をもたらすと信じられているからである。中国の長い歴史を見ても、為政者が寛容の精神を理解し、共生を力行する時代はいずれも良い時代であった。

 安部仲麻呂が長安で国家図書館長になった唐の時代を思い出してみたい。寛容と共生が人々の共有の理念であり、異文化の受容が最大限に行なわれ、仏教とイスラム教も平和裏に中国に入植してきた。三蔵法師が千辛万苦を乗り越えて19年をかけてインドから仏典を持ちかえったのもこの時代だった。特記すべきは、このインドの旅も当時の法律で禁じられていた密入国だったことである。しかし、長安に戻ってきた玄奘に李世民帝は罪を問うところか、盛大の式典で彼を出迎えた。

 又、外敵を防ぐため万里の長城の修復を上奏する臣下に対し、心の長城を造れと叱った康熙帝の時代を思い出したい。紫禁城では、満州族のサマン教の他に中国の仏教、チベット仏教、道教、儒教等の儀式がお互いに衝突することなく日常的に行なわれていた。特に中正殿では、毎日欠かさずチベット仏教の仏事が行なわれていた。

 これからの中国は、あらゆる意味で良き時代になると信じている。というのは、様々な問題を指摘されながらも、全体的に見れば中国には約200年振りに寛容の精神が徐々に蘇りつつあるからである。当然、これには紆余曲折もあるが、最終的にはカルマパ、そしてダライ・ラマが再びチベットの地に入る道が整備されると確信している。


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